★やっとと見つけた田舎の郵便ポスト

お馴染み色のポストはややミニチュアサイズ
集荷はなんと一日に一回だけ 9:10を逃すと一日遅れ
郵便局へ持ち込めば何とか間に合いそうだ・・・よ。

引っ越してきたときは、ポストを探すのに苦労しました
都会のようにあちこちにあるわけではないので、基本郵便局に持っていくしかないようです。

★燃える秋・・・朝焼けに染まる

東の空が燃えるように赤く染まって、思わず外へ出てみた
久しぶりに眺める朝焼けは広く光を放っていた。
自然が織りなす感動的なひと時が素晴らしい。

寝室の窓からみた朝焼け。
太平洋から日が昇るのか、朝焼けはどこよりもきれいです
庭からみた朝焼け。徐々に空が明るくなってきます
この朝やけは、何回見てもすばらしいです。
朝焼けの色も、夏と冬では違います。ぜひ見に来てください。海の幸、山の幸と美味しいお酒をご用意してお待ちしております。

活伊勢海老の鬼殻焼き

地元の釣りキチに伊勢海老を頂ききましたよ・・・!!
今回は魚焼き器で鬼殻焼きにしてみました。
ホクホクと甘味が有ってしっとりと美味しい・・・。
香ばしく濃厚な味噌も格別でした。
有難うございました、またお願いしますね。

★水戸・弘道館に行ってみた

特別史跡「旧弘道館」
江戸時代の学びの館とあって、どっしりと荘厳な趣
広く静かなたたずまいは光であふれている。

旧水戸藩の藩校である弘道館(こうどうかん)は、第9代藩主徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設されました。

弘道館建学の精神は、天保9年(1838年)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されています。弘道館は、天保12年(1841年)8月1日に仮開館式が挙行され、さらに、15年あまりの年月を要し、安政4年(1857年)5月9日に本開館式の日を迎えました。

藩校当時の敷地面積は約10.5haで、藩校としては全国一の規模でした。敷地内には、正庁(学校御殿)・至善堂の他に文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・八卦堂・孔子廟などが建設され、馬場・調練場・矢場・砲術場なども整備され、総合的な教育施設でした。

弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で40歳まで就学が義務づけられていました。卒業の制度はありませんので、生涯教育といえます。学問と武芸の両方が重視され、学問では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武芸では剣術・槍術・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多彩な科目が教えられていました。また、医者を養成する医学館では、医学の教授のほか、種痘や製薬なども実施されていました。

その後、幕末の動乱期を経て、明治5年(1872年)の「学制」発布により弘道館は閉鎖され、県庁舎や学校の仮校舎として使用されました。幾度の戦火を免れた正門、正庁及び至善堂は、昭和39年(1964年)に国の重要文化財に指定され、現在約3.4haの区域が「旧弘道館」として国の特別史跡に指定されています。区域内には約60品種800本の梅が植えられており、梅の名所としても有名です。

観光いばらき より引用
弘道館正門
当時の面影がそのまま残っています。とても貴重な文化財です
ここで、多くの藩士が学び、旅立っていったかと思うと感無量です。