★鹿嶋市文化財巡り#13「津賀城跡②」

城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。

今では木々が生い茂ってますが、当時は何もなくて見通しが良かったのだと思います。
天守閣? 御城があった跡でしょうか? そんなに大きな御城ではなかったので、お屋敷くらいだったんでしょうね
周りを土塁で囲んで、敵の侵入に準備していたと思います。
北浦がよく見えます。敵が攻め入ってもすぐわかりますね。
頂上から見た北浦。億には北浦大橋が見えます。

★鹿嶋市文化財巡り#12「津賀城跡①」

北浦大橋のたもと付近の丘の上に見つけました。
県道18号線から上がって行くと案内看板があって、
さらに上に続く階段が整備されています。
登り切った大地の更に小高いところが城跡でしょうか。
その周りには空堀がめぐらされていました。

県道18号 北浦街道から高台に登ったところにあります。
この御城は津賀氏が鎌倉時代中期から戦国時代末期までありました。この時代は、ここ常陸の国が一番栄えた頃だったんでしょうね。歴史を感じました。
頂上には平らな場所があります。ここがに本丸があったんでしょうね。
30mほどの山城だったので、整備された階段を上がっていきます。
空堀が残っていました。山城なので水の入った堀は無理ですが、空堀で守りを鉄壁にしていたんでしょうね。
ここの空堀は、なんと二重になってます。
空堀が延々と続きます。どのくらいの深さがあるのか、入ってみれば良かったですねw
当時は、もっと深かったんだと思います

津賀氏は、 1524年(大永4年)には高天原(たかまがはら)で鹿島城の宿老・松本尚勝と戦い、これを破ったとされています。 なかなかの武闘派だったんでしょうね。

鹿島・鉾田の地名には、そこに住んでいた武家や豪族の名前がつけられています。はじめは 人の名前っぽい地名だなと思いましたが、実はそういうことだったんですね。

歴史の有名人にちなんで地名をつけるとは、なかなか粋なことだと感じました。