葉を広げてきたチューリップ
青空に這える梅の木・・・。
着実に春が近づいてきています。



田舎暮らし満喫中
葉を広げてきたチューリップ
青空に這える梅の木・・・。
着実に春が近づいてきています。


ちょっとした高台からオレンジ色に染まる空。
いつまででも見ていたいような静かなここちになります。




良く晴れた日に大竹海岸に行って
こんな小さな三脚にカメラを付けて撮ってみました。
寄せては返す波の音を動画でご覧ください。
約2分のひと時をどうぞ。

エジプト出身のお相撲さんにも同じような名前の力士がいましたが、茨城もいました!
DIYマスターが遊びに来てくれたので、懐石旅館「尋」にご飯を食べに行ったとき、国道51号が珍し渋滞してました。
普段は全く混まないのに・・・と思っていたら、原因はこれ! 砂嵐でした。
ちょうどこの時期は、畑に何も作物が植わっていないうえ、鹿島大地の土は細かいので、強風(春の嵐)が吹くとこのような砂嵐が起きるそうです。
写真はほんの一例ですが、この砂嵐は海の先き遠くまで舞っていました。「尋」は高台にあるので、海の上が茶色?黄色になっているのがよくわかりました。
「尋」は完全予約のお店なので、行くときには事前に電話をして予約をお忘れなく!
目の前に広がる海を見ながらの食事は最高です。


城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。






北浦大橋のたもと付近の丘の上に見つけました。
県道18号線から上がって行くと案内看板があって、
さらに上に続く階段が整備されています。
登り切った大地の更に小高いところが城跡でしょうか。
その周りには空堀がめぐらされていました。







津賀氏は、 1524年(大永4年)には高天原(たかまがはら)で鹿島城の宿老・松本尚勝と戦い、これを破ったとされています。 なかなかの武闘派だったんでしょうね。
鹿島・鉾田の地名には、そこに住んでいた武家や豪族の名前がつけられています。はじめは 人の名前っぽい地名だなと思いましたが、実はそういうことだったんですね。
歴史の有名人にちなんで地名をつけるとは、なかなか粋なことだと感じました。
日差しに誘われて庭に出たら、
ポップコーンが弾けるように梅の花が咲いている。
思いっきり膨らんだ蕾からパンとなってパッ!!!
そしてお名前はわかりませんが本日のお客様はこちらです。


久しぶりに東京へ遠征~イタリアンのランチコースをゴチに。
娘の笑顔と彼の笑顔・・・仲良く楽しそう。
遂にこんな日が来たのだと感慨深く嬉しい。
子供はず~っと後でいいからね。

ほぼ快晴だったので鹿行大橋のたもとへ来てみたら、
雲が寄ってきたり退いたりと多彩な表情を見せてくれました。
鹿行大橋の背中に沈む夕日・・・キレイでした。





鹿行(ろっこう)大橋は、北浦両岸の鹿嶋市と行方市が合併したことにより、それぞれの頭文字を取って鹿行大橋としたそうです。全長は416m(二代目)です。
初代の橋は全長401mで、1964年着工、1968年完成しました。当初はまだ合併をしていなかったので、鹿行大橋とは言わなかったと思います。
もともと1車線ほどの大きさだったので、橋の途中にすれ違いのための待避ゾーンがあったりなどして使い勝手も悪かったし、大型車が通行できないなどの問題もあり、2002年より二代目の工事が始まりました。2011年の東北震災の影響で初代が崩れてしまったため、震災の翌年の2012年4月に1年前倒しして開通したそうです。



北浦大橋に沈む夕日が奇麗だと聞いたので
早めに行って撮影ポイントを探して待っていると、
何やら雲が、雲が沈む夕日の前に層になって連なっている。
今回はやや残念でしたが沈んだ夕日が上空の雲を白く
照らしているのも奇麗でした。
北浦には、鹿島側から神宮橋、新神宮橋、鹿嶋線橋梁、北浦大橋、鹿行大橋の5本の橋が架かっています。愛称は、「サン・ブリッジ」です。淡水湖にかかる橋梁としては、日本第二位の長さ1295.8mの長さです。




この日は雲が出てしまってましたが、沈む夕日が白い橋に映り込んで、オレンジ色に変化する様は絶景です。百聞は一見にしかず、ぜひ見にいらしてください。