城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。







田舎暮らし満喫中
城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。






北浦大橋のたもと付近の丘の上に見つけました。
県道18号線から上がって行くと案内看板があって、
さらに上に続く階段が整備されています。
登り切った大地の更に小高いところが城跡でしょうか。
その周りには空堀がめぐらされていました。







津賀氏は、 1524年(大永4年)には高天原(たかまがはら)で鹿島城の宿老・松本尚勝と戦い、これを破ったとされています。 なかなかの武闘派だったんでしょうね。
鹿島・鉾田の地名には、そこに住んでいた武家や豪族の名前がつけられています。はじめは 人の名前っぽい地名だなと思いましたが、実はそういうことだったんですね。
歴史の有名人にちなんで地名をつけるとは、なかなか粋なことだと感じました。
窓枠に設置してあった日差し除けの障子を
全て取り払ったら見事な光景に・・・
いやいや絶景でしょう>>>>>>>>。
180度のオーシャンビューが誕生しました。





日差しに誘われて庭に出たら、
ポップコーンが弾けるように梅の花が咲いている。
思いっきり膨らんだ蕾からパンとなってパッ!!!
そしてお名前はわかりませんが本日のお客様はこちらです。


久しぶりに東京へ遠征~イタリアンのランチコースをゴチに。
娘の笑顔と彼の笑顔・・・仲良く楽しそう。
遂にこんな日が来たのだと感慨深く嬉しい。
子供はず~っと後でいいからね。

ほぼ快晴だったので鹿行大橋のたもとへ来てみたら、
雲が寄ってきたり退いたりと多彩な表情を見せてくれました。
鹿行大橋の背中に沈む夕日・・・キレイでした。





鹿行(ろっこう)大橋は、北浦両岸の鹿嶋市と行方市が合併したことにより、それぞれの頭文字を取って鹿行大橋としたそうです。全長は416m(二代目)です。
初代の橋は全長401mで、1964年着工、1968年完成しました。当初はまだ合併をしていなかったので、鹿行大橋とは言わなかったと思います。
もともと1車線ほどの大きさだったので、橋の途中にすれ違いのための待避ゾーンがあったりなどして使い勝手も悪かったし、大型車が通行できないなどの問題もあり、2002年より二代目の工事が始まりました。2011年の東北震災の影響で初代が崩れてしまったため、震災の翌年の2012年4月に1年前倒しして開通したそうです。



北浦大橋に沈む夕日が奇麗だと聞いたので
早めに行って撮影ポイントを探して待っていると、
何やら雲が、雲が沈む夕日の前に層になって連なっている。
今回はやや残念でしたが沈んだ夕日が上空の雲を白く
照らしているのも奇麗でした。
北浦には、鹿島側から神宮橋、新神宮橋、鹿嶋線橋梁、北浦大橋、鹿行大橋の5本の橋が架かっています。愛称は、「サン・ブリッジ」です。淡水湖にかかる橋梁としては、日本第二位の長さ1295.8mの長さです。




この日は雲が出てしまってましたが、沈む夕日が白い橋に映り込んで、オレンジ色に変化する様は絶景です。百聞は一見にしかず、ぜひ見にいらしてください。
今朝は曇りで靄がかかる暖かな陽気
幾種もの鳥声に誘われて庭に出ると・・・
ブルーベリーにも梅の樹にも芽がしっかり付いて
朝露に守られるかのように、すくすくと育っています。
もうすぐ春ですね。


田舎暮らし・このエリアで絶対外せないのがこの「鹿島神宮」
晴れた朝に行ってきました、どれも規模が大きくて圧倒され、
大鳥居をくぐると楼門・そして本殿・荘厳な気持ちに。
参道を歩くと心が落ち着いて木立に抱かれた印象を持ちます。
ゆったりとくつろぐ神と崇められる鹿・その近くには「さざれ石」
まだまだスポットは沢山あるけど疲れたので今回はこの辺で。










だいぶ登ってきたので、もうすかな、
傾斜もきつく足に来てます・・・ウ~ウォ~もうちっと
道が二手に分かれて・・・手前の左へ行ってみましょう
結構な広さで本殿ではない機能が有ったように見えます。
さあ戻って先へ進みます。きつい傾斜を登りきると・・・
左右にかなりの敷地が有ります。ここで時が動いていたんですね。
何やら武士の声が聞こえてきそうな荘厳ざを感じます。





