県道18号線を左に折れて汲上方面へ進むと
 グループホーム「ポコ・ア・ポコ大洋」を過ぎたら突然、
 右側の視界が開けて、なんととなんと開墾しています。
 あの巨大な杉の木立が広範囲にわたって無くなっている。
 重機が三台も入ってうなりをあげて動いています。
 両側が杉木立で森の中の街道の風情だったのが、
 片方が完全に無くなってています。
 畑にでもするのでしょうか・・・また行って見て来ますね。







田舎暮らし満喫中
県道18号線を左に折れて汲上方面へ進むと
 グループホーム「ポコ・ア・ポコ大洋」を過ぎたら突然、
 右側の視界が開けて、なんととなんと開墾しています。
 あの巨大な杉の木立が広範囲にわたって無くなっている。
 重機が三台も入ってうなりをあげて動いています。
 両側が杉木立で森の中の街道の風情だったのが、
 片方が完全に無くなってています。
 畑にでもするのでしょうか・・・また行って見て来ますね。






今日は残念なことに白鳥は餌取りに行っているらしく
 一羽も見ることができませんでした。
 遠くからいらしたお二人がパンをちぎってあげていたので、
 動画を撮ってみました。
こちらの白鳥の里のブログもご覧ください。
鳥獣保護区「白鳥の里」
★鳥獣保護区「白鳥の里」パート2
鹿嶋城跡公園の一角に記念碑があるのだけれど、
 公園の規模がすごく、桜の名所となるほど整備されていて、
 記念碑以外には城跡としての面影がないが、
 人々に愛されている公園なんだと感じる事が出来た。









 常陸平氏の鹿島政幹が平安末期に築いた城である。それ以降鹿島氏の居城となった。本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。 築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。 かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。
現在実質的な鹿島神宮の表参道である大町通りは往時の鹿島城内であり、中世においてはここで流鏑馬がおこなわれていたという。天正年間に常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺されたいわゆる「南方三十三館の謀殺」後に、佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け、これを落城させた。佐竹氏は鹿島城の跡地に陣屋を築いたという(鹿島神宮文書)。
徳川幕府が成立すると、佐竹氏は国替えになり、元の鹿島氏が再興した。 現在の国道51号線と茨城県道18号茨城鹿島線が交わる鹿島小学校前の交差点の付近に鹿島城の大手門があったと伝わっている。じつに国道51号線は大船津から鹿島神宮に至る道があったのでこれを圧迫する作用もあり、51号線を通す際に空堀を埋めて道路を造った。
また県道18号線の鹿島城の縄張り内をとおる部分には鹿島城の堀があったという(鹿島城は二重、三重に掘があったとされる)が江戸時代にはいって「平和の時代には不要」として埋められた。 
ウィキペディアより引用
ちょっとした高台からオレンジ色に染まる空。
 いつまででも見ていたいような静かなここちになります。




良く晴れた日に大竹海岸に行って
 こんな小さな三脚にカメラを付けて撮ってみました。
 寄せては返す波の音を動画でご覧ください。
 約2分のひと時をどうぞ。

エジプト出身のお相撲さんにも同じような名前の力士がいましたが、茨城もいました!
DIYマスターが遊びに来てくれたので、懐石旅館「尋」にご飯を食べに行ったとき、国道51号が珍し渋滞してました。
普段は全く混まないのに・・・と思っていたら、原因はこれ! 砂嵐でした。
ちょうどこの時期は、畑に何も作物が植わっていないうえ、鹿島大地の土は細かいので、強風(春の嵐)が吹くとこのような砂嵐が起きるそうです。
写真はほんの一例ですが、この砂嵐は海の先き遠くまで舞っていました。「尋」は高台にあるので、海の上が茶色?黄色になっているのがよくわかりました。
「尋」は完全予約のお店なので、行くときには事前に電話をして予約をお忘れなく!
目の前に広がる海を見ながらの食事は最高です。


城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
 かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
 そしてここからの眺望がまた素晴らしい。






窓枠に設置してあった日差し除けの障子を
 全て取り払ったら見事な光景に・・・
 いやいや絶景でしょう>>>>>>>>。
 180度のオーシャンビューが誕生しました。





ほぼ快晴だったので鹿行大橋のたもとへ来てみたら、
 雲が寄ってきたり退いたりと多彩な表情を見せてくれました。
 鹿行大橋の背中に沈む夕日・・・キレイでした。





鹿行(ろっこう)大橋は、北浦両岸の鹿嶋市と行方市が合併したことにより、それぞれの頭文字を取って鹿行大橋としたそうです。全長は416m(二代目)です。
初代の橋は全長401mで、1964年着工、1968年完成しました。当初はまだ合併をしていなかったので、鹿行大橋とは言わなかったと思います。
もともと1車線ほどの大きさだったので、橋の途中にすれ違いのための待避ゾーンがあったりなどして使い勝手も悪かったし、大型車が通行できないなどの問題もあり、2002年より二代目の工事が始まりました。2011年の東北震災の影響で初代が崩れてしまったため、震災の翌年の2012年4月に1年前倒しして開通したそうです。



北浦大橋に沈む夕日が奇麗だと聞いたので
 早めに行って撮影ポイントを探して待っていると、
 何やら雲が、雲が沈む夕日の前に層になって連なっている。
 今回はやや残念でしたが沈んだ夕日が上空の雲を白く
 照らしているのも奇麗でした。
北浦には、鹿島側から神宮橋、新神宮橋、鹿嶋線橋梁、北浦大橋、鹿行大橋の5本の橋が架かっています。愛称は、「サン・ブリッジ」です。淡水湖にかかる橋梁としては、日本第二位の長さ1295.8mの長さです。




この日は雲が出てしまってましたが、沈む夕日が白い橋に映り込んで、オレンジ色に変化する様は絶景です。百聞は一見にしかず、ぜひ見にいらしてください。