★戦争遺跡・・・鉾田陸軍「監的豪」

普段何度も通っている身近な場所に有って気づかなかった。
標識も看板も無くポツンと置いてある感じで突然目に入る・・・
確かに当時というかその時代を感じさせるオーラが・・・
実際のシーンを想像するには充分なパワーを感じる。

この監的豪、実は所有者が国でも市でもないそうなんです。道路の拡幅工事で、初めて調査されたようです。そして今は、拡幅の土地の所有者の方が土地を提供して、そこに移転いたしました。移転の際には、レールを敷いて移動したようです。
そのときの様子は、産経ニュースにでていますので、ご覧ください。

道路の拡張工事でちょっと移転しましたが、当時のままを移動をしました。地元の人以外は、だれも戦争遺跡だとは気がつかないと思います。
この穴から除いて、着弾の確認をしていたと思います。
だいぶ痛んできていますが、文化財としての価値やら所有者不明等の諸問題で、保存もすることができまいようです。このまま朽ち果ててしまうのか心配です
観測は、色の付いた的めがけて爆薬の入っていない爆弾を投下して、「緑よし」「橙よし」のように報告をしていたようです
結構崩壊が進んでいます。でも、当時のままの姿をしっかり保っている、戦争遺跡です。
中には誰でも入れるようです。
今度入ってみて、中からのぞいてみようかな?
何も言わずひっそりとたたずんでますが、いろいろな歴史を見てきた証人なんですね。

★鉾田陸軍飛行学校・顕彰碑②

前回は記念碑ばかりで外観が分からなかったので、
買い物ついでにパシャリとしてきました。
緑に囲まれ、桜に守られるようなたたずまいです。

当時の飛行場は、けっこうな広さであったのもうかがえます。
詳しくは、こちらを参照してください。

★鉾田陸軍飛行学校・顕彰碑

ラパンハウスから海浜公園へ行く途中の裏道に見つけました。
この場所に陸軍飛行学校と飛行場が有ったのですね。
この顕彰碑はその敷地のはずれの一角にあって、
桜の木に守られているようにたたずんでいました。
「建立の記」には昭和十五年に開設され、戦況が悪化すると
特攻訓練が始まり少年兵がここから飛び立ったと記されています。
重い歴史に心が打たれます。

陸軍初の特攻隊 戦跡が伝える少年兵たち(NHK)
ウィキペディアの記事

顕彰碑のまわりは、桜の木が沢山植えられています。春になるとさぞかし綺麗に咲くことだと思います。
ここは、陸軍で初めて特攻隊が編成された場所でもあります。
鉾田に特攻訓練の基地があったとは知りませんでした。畑の中にぽつんとあるので、よほどじゃないと気がつかなかったです。
戦没者の名簿。お国のために尽くされたことに、感謝いたします。 春になったら、桜を見ながら一献できれば。

★なんと開墾しているではありませんか!!!!!

県道18号線を左に折れて汲上方面へ進むと
グループホーム「ポコ・ア・ポコ大洋」を過ぎたら突然、
右側の視界が開けて、なんととなんと開墾しています。
あの巨大な杉の木立が広範囲にわたって無くなっている。
重機が三台も入ってうなりをあげて動いています。
両側が杉木立で森の中の街道の風情だったのが、
片方が完全に無くなってています。
畑にでもするのでしょうか・・・また行って見て来ますね。

鹿島舌状台地は、まだまだ手つかずな自然?が沢山あります。杉の林も原生林状態です。
手入(間伐)れもしていないので、ご覧の通り伸び放題! 
重機を使えば、自然なんてあっという間に人間の手に落ちるのは寂しいです
この一コマだけ見てると、開拓されてるアマゾンの原生林のようですね
畑になるのか、太陽光発電所ができるのかな?

★鹿嶋市文化財巡り#14「鹿嶋城跡」

鹿嶋城跡公園の一角に記念碑があるのだけれど、
公園の規模がすごく、桜の名所となるほど整備されていて、
記念碑以外には城跡としての面影がないが、
人々に愛されている公園なんだと感じる事が出来た。

鹿嶋氏の居城がありました。鹿島神宮のすぐ隣で、北浦を見渡せる高台にあります。
常陸を支配していただけあって、さぞかし立派な御城が築城されていたと思います。今まで見た城跡の中では、群を抜いて大きいのでびっくりしました。
早咲きの桜、大寒桜かな? もう上野の公園でも、大寒桜が咲いていると先日TVで報道されていました
この公園は、実は桜の名所としても有名なんです。春になりますと満開になったサクラで、鹿島城跡の高台がピンク色に染まる絶景が見られるそうです。
本丸跡地から見た鹿島神宮橋。

常陸平氏鹿島政幹が平安末期に築いた城である。それ以降鹿島氏の居城となった。本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。 築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。 かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。

現在実質的な鹿島神宮の表参道である大町通りは往時の鹿島城内であり、中世においてはここで流鏑馬がおこなわれていたという。天正年間に常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺されたいわゆる「南方三十三館の謀殺」後に、佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け、これを落城させた。佐竹氏は鹿島城の跡地に陣屋を築いたという(鹿島神宮文書)。

徳川幕府が成立すると、佐竹氏は国替えになり、元の鹿島氏が再興した。 現在の国道51号線茨城県道18号茨城鹿島線が交わる鹿島小学校前の交差点の付近に鹿島城の大手門があったと伝わっている。じつに国道51号線は大船津から鹿島神宮に至る道があったのでこれを圧迫する作用もあり、51号線を通す際に空堀を埋めて道路を造った。

また県道18号線の鹿島城の縄張り内をとおる部分には鹿島城の堀があったという(鹿島城は二重、三重に掘があったとされる)が江戸時代にはいって「平和の時代には不要」として埋められた。

ウィキペディアより引用

★潮騒・大竹海岸 (動画)

良く晴れた日に大竹海岸に行って
こんな小さな三脚にカメラを付けて撮ってみました。
寄せては返す波の音を動画でご覧ください。
約2分のひと時をどうぞ。

大竹海岸。左奥には、大洗海岸が見えてます。夜だと、綺麗な夜景が見られますよ。
新しく購入したデジカメ。最新機種なので、画質は綺麗ですし、望遠でも手ぶれしないので、頼もしい相棒です。○○とデジカメは新しい方がいいというのもわかりますね!

茨城の大砂嵐

エジプト出身のお相撲さんにも同じような名前の力士がいましたが、茨城もいました!
DIYマスターが遊びに来てくれたので、懐石旅館「尋」にご飯を食べに行ったとき、国道51号が珍し渋滞してました。
普段は全く混まないのに・・・と思っていたら、原因はこれ! 砂嵐でした。
ちょうどこの時期は、畑に何も作物が植わっていないうえ、鹿島大地の土は細かいので、強風(春の嵐)が吹くとこのような砂嵐が起きるそうです。
写真はほんの一例ですが、この砂嵐は海の先き遠くまで舞っていました。「」は高台にあるので、海の上が茶色?黄色になっているのがよくわかりました。

」は完全予約のお店なので、行くときには事前に電話をして予約をお忘れなく!
目の前に広がる海を見ながらの食事は最高です。

先方の砂嵐で渋滞。視界が0になるので、止まらざるを得ない状況が渋滞の原因です。渋滞中で止まっているときに写真は撮りました。安全運転!
お出かけの帰り、神宮バイパス橋から見た、潮来に沈む夕日。助手席から乗り出して、パシャリ!

★鹿嶋市文化財巡り#13「津賀城跡②」

城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。

今では木々が生い茂ってますが、当時は何もなくて見通しが良かったのだと思います。
天守閣? 御城があった跡でしょうか? そんなに大きな御城ではなかったので、お屋敷くらいだったんでしょうね
周りを土塁で囲んで、敵の侵入に準備していたと思います。
北浦がよく見えます。敵が攻め入ってもすぐわかりますね。
頂上から見た北浦。億には北浦大橋が見えます。