茨城の大砂嵐

エジプト出身のお相撲さんにも同じような名前の力士がいましたが、茨城もいました!
DIYマスターが遊びに来てくれたので、懐石旅館「尋」にご飯を食べに行ったとき、国道51号が珍し渋滞してました。
普段は全く混まないのに・・・と思っていたら、原因はこれ! 砂嵐でした。
ちょうどこの時期は、畑に何も作物が植わっていないうえ、鹿島大地の土は細かいので、強風(春の嵐)が吹くとこのような砂嵐が起きるそうです。
写真はほんの一例ですが、この砂嵐は海の先き遠くまで舞っていました。「」は高台にあるので、海の上が茶色?黄色になっているのがよくわかりました。

」は完全予約のお店なので、行くときには事前に電話をして予約をお忘れなく!
目の前に広がる海を見ながらの食事は最高です。

先方の砂嵐で渋滞。視界が0になるので、止まらざるを得ない状況が渋滞の原因です。渋滞中で止まっているときに写真は撮りました。安全運転!
お出かけの帰り、神宮バイパス橋から見た、潮来に沈む夕日。助手席から乗り出して、パシャリ!

★鹿嶋市文化財巡り#13「津賀城跡②」

城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。

今では木々が生い茂ってますが、当時は何もなくて見通しが良かったのだと思います。
天守閣? 御城があった跡でしょうか? そんなに大きな御城ではなかったので、お屋敷くらいだったんでしょうね
周りを土塁で囲んで、敵の侵入に準備していたと思います。
北浦がよく見えます。敵が攻め入ってもすぐわかりますね。
頂上から見た北浦。億には北浦大橋が見えます。

★鹿嶋市文化財巡り#12「津賀城跡①」

北浦大橋のたもと付近の丘の上に見つけました。
県道18号線から上がって行くと案内看板があって、
さらに上に続く階段が整備されています。
登り切った大地の更に小高いところが城跡でしょうか。
その周りには空堀がめぐらされていました。

県道18号 北浦街道から高台に登ったところにあります。
この御城は津賀氏が鎌倉時代中期から戦国時代末期までありました。この時代は、ここ常陸の国が一番栄えた頃だったんでしょうね。歴史を感じました。
頂上には平らな場所があります。ここがに本丸があったんでしょうね。
30mほどの山城だったので、整備された階段を上がっていきます。
空堀が残っていました。山城なので水の入った堀は無理ですが、空堀で守りを鉄壁にしていたんでしょうね。
ここの空堀は、なんと二重になってます。
空堀が延々と続きます。どのくらいの深さがあるのか、入ってみれば良かったですねw
当時は、もっと深かったんだと思います

津賀氏は、 1524年(大永4年)には高天原(たかまがはら)で鹿島城の宿老・松本尚勝と戦い、これを破ったとされています。 なかなかの武闘派だったんでしょうね。

鹿島・鉾田の地名には、そこに住んでいた武家や豪族の名前がつけられています。はじめは 人の名前っぽい地名だなと思いましたが、実はそういうことだったんですね。

歴史の有名人にちなんで地名をつけるとは、なかなか粋なことだと感じました。

★開花宣言・・・春が来た

日差しに誘われて庭に出たら、
ポップコーンが弾けるように梅の花が咲いている。
思いっきり膨らんだ蕾からパンとなってパッ!!!
そしてお名前はわかりませんが本日のお客様はこちらです。

梅が咲いたら、次はウグイスの声が聞けるかな?
どうも、お客様はすずめのようですね。

★娘が結婚すると言った日。

久しぶりに東京へ遠征~イタリアンのランチコースをゴチに。
娘の笑顔と彼の笑顔・・・仲良く楽しそう。
遂にこんな日が来たのだと感慨深く嬉しい。
子供はず~っと後でいいからね。

★夕陽を見ているか・・・#2「鹿行(ろっこう)大橋」(修正)

ほぼ快晴だったので鹿行大橋のたもとへ来てみたら、
雲が寄ってきたり退いたりと多彩な表情を見せてくれました。
鹿行大橋の背中に沈む夕日・・・キレイでした。

鹿行(ろっこう)大橋は、北浦両岸の鹿嶋市と行方市が合併したことにより、それぞれの頭文字を取って鹿行大橋としたそうです。全長は416m(二代目)です。

初代の橋は全長401mで、1964年着工、1968年完成しました。当初はまだ合併をしていなかったので、鹿行大橋とは言わなかったと思います。
もともと1車線ほどの大きさだったので、橋の途中にすれ違いのための待避ゾーンがあったりなどして使い勝手も悪かったし、大型車が通行できないなどの問題もあり、2002年より二代目の工事が始まりました。2011年の東北震災の影響で初代が崩れてしまったため、震災の翌年の2012年4月に1年前倒しして開通したそうです。

初代鹿行大橋。写真はwipipediaより引用
この狭さでは、すれ違いもできませんでしたね。写真は、wikipediaより引用
2014年1月には完全に撤去 され今は面影もありませんが、落盤した初代と新しく仮設された二代目。写真は、wikipediaより引用

★夕陽を見ているか・・・「北浦大橋」

北浦大橋に沈む夕日が奇麗だと聞いたので
早めに行って撮影ポイントを探して待っていると、
何やら雲が、雲が沈む夕日の前に層になって連なっている。
今回はやや残念でしたが沈んだ夕日が上空の雲を白く
照らしているのも奇麗でした。

北浦には、鹿島側から神宮橋、新神宮橋、鹿嶋線橋梁、北浦大橋、鹿行大橋の5本の橋が架かっています。愛称は、「サン・ブリッジ」です。淡水湖にかかる橋梁としては、日本第二位の長さ1295.8mの長さです。

この日は雲が出てしまってましたが、沈む夕日が白い橋に映り込んで、オレンジ色に変化する様は絶景です。百聞は一見にしかず、ぜひ見にいらしてください。

★見つけた春 2選

今朝は曇りで靄がかかる暖かな陽気
幾種もの鳥声に誘われて庭に出ると・・・
ブルーベリーにも梅の樹にも芽がしっかり付いて
朝露に守られるかのように、すくすくと育っています。
もうすぐ春ですね。

月末頃には、綺麗な花が咲くのかな?
もう春の訪れなんですね。梶山は春が楽しみです。

★鹿嶋市文化財巡り#11「鹿嶋神宮」

田舎暮らし・このエリアで絶対外せないのがこの「鹿島神宮
晴れた朝に行ってきました、どれも規模が大きくて圧倒され、
大鳥居をくぐると楼門・そして本殿・荘厳な気持ちに。
参道を歩くと心が落ち着いて木立に抱かれた印象を持ちます。
ゆったりとくつろぐ神と崇められる鹿・その近くには「さざれ石」
まだまだスポットは沢山あるけど疲れたので今回はこの辺で。

立派な大鳥居。北浦にも赤い大きな鳥居があります。 東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。
鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。
日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。
本殿到着。由緒ある神社なので、拝殿からはものすごいパワーを感じてます。今年はいいことが沢山ありますように!
本殿の修復工事?のための、資材になります。昨年訪れた際には本殿が囲いで覆われてましたが、今回は囲いが撮れて最終段階の工事のようです。
参道からは、神様から祝福されるような日差しが暖かく感じました。
昔から、この地域に住んでいた武家はみな武闘派だったのもわかります。北浦の海側は、唯一水戸藩の配下にならなかったのも頷けます。
フェンスにピントがあってしまって、肝心の鹿がピンボケにw
本当に、ここはパワーを感じる場所です。霊能者に見ていただいたら、この写真も凄いのではないかと思われます。
さざれいしがここにもありました。日本創世の石?なんですね! 無宗教の私でも、感銘を多々受けました。

★鉾田市文化財巡り#10「三階城跡③」

だいぶ登ってきたので、もうすかな、
傾斜もきつく足に来てます・・・ウ~ウォ~もうちっと
道が二手に分かれて・・・手前の左へ行ってみましょう
結構な広さで本殿ではない機能が有ったように見えます。
さあ戻って先へ進みます。きつい傾斜を登りきると・・・
左右にかなりの敷地が有ります。ここで時が動いていたんですね。
何やら武士の声が聞こえてきそうな荘厳ざを感じます。