★見つけた春 2選

今朝は曇りで靄がかかる暖かな陽気
幾種もの鳥声に誘われて庭に出ると・・・
ブルーベリーにも梅の樹にも芽がしっかり付いて
朝露に守られるかのように、すくすくと育っています。
もうすぐ春ですね。

月末頃には、綺麗な花が咲くのかな?
もう春の訪れなんですね。梶山は春が楽しみです。

★鹿嶋市文化財巡り#11「鹿嶋神宮」

田舎暮らし・このエリアで絶対外せないのがこの「鹿島神宮
晴れた朝に行ってきました、どれも規模が大きくて圧倒され、
大鳥居をくぐると楼門・そして本殿・荘厳な気持ちに。
参道を歩くと心が落ち着いて木立に抱かれた印象を持ちます。
ゆったりとくつろぐ神と崇められる鹿・その近くには「さざれ石」
まだまだスポットは沢山あるけど疲れたので今回はこの辺で。

立派な大鳥居。北浦にも赤い大きな鳥居があります。 東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。
鹿島神宮は、日本建国・武道の神様である「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社です。
日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。
本殿到着。由緒ある神社なので、拝殿からはものすごいパワーを感じてます。今年はいいことが沢山ありますように!
本殿の修復工事?のための、資材になります。昨年訪れた際には本殿が囲いで覆われてましたが、今回は囲いが撮れて最終段階の工事のようです。
参道からは、神様から祝福されるような日差しが暖かく感じました。
昔から、この地域に住んでいた武家はみな武闘派だったのもわかります。北浦の海側は、唯一水戸藩の配下にならなかったのも頷けます。
フェンスにピントがあってしまって、肝心の鹿がピンボケにw
本当に、ここはパワーを感じる場所です。霊能者に見ていただいたら、この写真も凄いのではないかと思われます。
さざれいしがここにもありました。日本創世の石?なんですね! 無宗教の私でも、感銘を多々受けました。

★鉾田市文化財巡り#10「三階城跡③」

だいぶ登ってきたので、もうすかな、
傾斜もきつく足に来てます・・・ウ~ウォ~もうちっと
道が二手に分かれて・・・手前の左へ行ってみましょう
結構な広さで本殿ではない機能が有ったように見えます。
さあ戻って先へ進みます。きつい傾斜を登りきると・・・
左右にかなりの敷地が有ります。ここで時が動いていたんですね。
何やら武士の声が聞こえてきそうな荘厳ざを感じます。

★DIYでBeforeAfter

ラテスに移した薪のラックが強度不足なので、DIYしました。
山新で必要な枚数とサイズにカットしてもらったので、
組み立て、ねじ止めするだけで意外と簡単に出来ました。
掃除の再に移動できるようキャスターも付けてバッチリ。
具材全部入れて4.000円くらいで済みました。

以前は、事務所スペースの出窓の下に置いていましたが、シロアリが来ると言うことで、急遽テラスにお引っ越し。
設計して、1x4の木材を山新でカットしてもらいました。後は、ネジで留めるだけ!
とりあえず完成。別に使い道はない薪ですが、BBQの時など使ってみようかな?

小鳥たちのさえずり(動画)

ラパンハウスの庭には、二羽鶏はいませんが、小鳥たちが毎朝やってきて、綺麗な歌を奏でてくれます。
今までは写真だけでしたが、カメラを買い換えたおかげで動画も配信
できるようになりましたので、毎朝の歌会を御拝聴ください。

ラパンハウスの音楽会。出演は、地元の小鳥たちです。

★月の出~暗闇の月明り

今日は満月、月の出は17時5分、そして快晴。
なので海に向かいました。あらら水平線に雲がぽっかり。
雲の向こうに月が顔を出して薄っすらとオレンジが控えめ。
昇るのを眺めているとぐんぐんオレンジ色に染まっていきます。
更に昇って暗くなると大きなオレンジ色の満月に。
そして幻想的で神秘的な月明りが海を白く染めていきます。

鹿島灘は、日も昇れば月も昇ります。もしかしたら、パワースポットなんですかね?
本当に綺麗な満月です。手に取って食べたくなりそうな、おいしそうな満月です。
カメラを買い換えたので、写真が綺麗に撮れるようになりましたよ。
ウサギがお持ち突いてるのがよくわかりますね
何かが起こりそうな予感のする満月でした。ワォーーーーン!

★鉾田市文化財巡り#8「三階城跡①」

見どころ満載で大作になったので三回に分けます。
やはり生活道路に看板が有りました。
砂利道をしばらく行くと田園の広がる所に見つけました。
登り口の案内板の他になにやら危険を知らせる標識が!
気にせずに入っていきます。
次回は山道を登ります。

※三階城については、こちら
※別リンク

築城年代は定かではないが安房氏によって築かれたと云われる。 安房氏は徳宿城主徳宿秀幹の長子俊幹が安房に配され安房氏の祖となった。

安房氏は応永年間(1394年~1428年)に宮ヶ崎氏とともに上杉禅秀の乱に参加して討死し滅亡した。その後、三階城には鹿島氏老臣額賀大炊助が居城したという。

三階城は鉾田川東岸の北西に突き出した段丘端に築かれている。

三階城はこの辺りの城としては珍しく、山頂の主郭を同心円状に取り巻くように、二郭、横堀、三郭と配しており、それが遠方から見ると三階に見えたことからこの名が付いたと云われている。

主郭はやや南北に長く土塁が取り巻き、現在西と東にそれぞれ開口部がある。主郭の下はこれを取り巻くように二郭があり、西側は狭く傾斜する。二郭の外側を大きな横堀が巡っているが、その外側部分を曲輪として造成し、曲輪の外側は急峻な切岸となっている。

現状主郭の東から二郭の東へ虎口が直線的に開いているが、これは空堀を廻って主郭まで道を付けているので原因で、これが本来の虎口なのかは検討する必要がある。

城郭放浪記より引用

三階城は、田んぼの真ん中にある16mほどの高台に築城されてました。近くにもいくつか御城(というよりかはお屋敷)もあります。
鉾田名物、砂利道w
看板はそれなりに立派ですが、この先駐車場も何もないです。
三階城は、城主安房氏が築城し、城の形が3段になっているために、三階城と呼ばれています。正しい名称は、「安房城」です。
荒れるがままの状態なので、危険がいっぱい!
この時期は遭遇しないとおもいますが、夏は入りたくないですね。次回の写真で、どんな凄いところかわかります。

★鹿嶋サッカースタジアム

東京からの帰りに寄り道してみました。
この大きさと斬新なフォルムに圧倒されますね!!!
ゲームがある日しか利用されない臨時駅
「鹿嶋サッカースタジアム駅」今はひっそりとしていますが、
ゲーム開催日は、たぶんごったがえしているんでしょうね。

畑のど真ん中にそびえ立つ鳥の巣のような建物が、鹿嶋サッカースタジアムです。上の部分は、観客数を増員するために増設した席だそうです。
ここまでは、JR鹿嶋線です。ここから先木は、鹿島臨海鉄道になります。試合のある日しか、電車が止まらないようです。まぁ、周りには何もありませんしね。ちなみに、改札はありません。
鹿嶋港からの貨物がここで折り返して 都心に向かいます。昔は成田空港への航空燃料輸送に使われていましたが、今ではパイプラインができたようで、当時ほど賑わってはいないようです。
試合のある日は人が凄いんでしょうね。ちなみに、改札はないですw 駅前の広場には、まもなく大きなショッピングセンターができるそうです。

★鹿嶋市・グルメとジーコ&鹿嶋アントラーズ

鹿嶋市のショッピングエリアが続くバイパスを曲がり少しの所の
鮨・会席「さか乃志田」に行きました。2回目です。
店に入ると繁盛している賑わいが伝わってくる店です。
人気メニューのランチをオーダーすると・・・
鮨と懐石が味わえるセットで、ボリュウムもスゴイ・・・
多すぎるかなと思いも、旨くて旨くてたいらげてしまいました。
舌鼓を打っているさなかに、なんとなんとシーコが現れましたゾ!
席一つ離れたすくぞばでジーコが食事中。
どうもお馴染みさんらしく女将さんともにこやかに話してる。
すとるそこに鹿嶋アントーラーズの現監督がスタッフと共に来店
そして気さくにパシャとしてくれたのがこの一枚。

立派な門構え。鹿嶋のお寿司屋さんはネタが新鮮でおいしいです。
鹿嶋の街中にあるお店。スタジアムからはちょっと離れてます
今日はランチ会席1380円。お値段以上のお味でお腹も満足です。
隣の席で一人で食事をしていたジーコ。嫌な顔せずに、一緒に写真を撮ってもらいました。二人とも、おじいちゃんですw。実は、ジーコさんこの店の常連で、よく一人で食事しに来られるそうです。

★鉾田市文化財巡り#7「梶山城跡」

目印や案内板も無いので、まったく気継がなかった。
こんな身近な普段使う生活道路にあったんです。
車で走っていたら見ない、または見えても気に留めない。
このつづら折りのスロープは落ち葉と竹枝で覆われ、
来る人を拒むようなオーラを出している。
でも行って見ましょう・・・さあ行きますよ、登ります。
舗装はされているけど荒れた様子。
つづり折りを5回登ると開けた場所に出ました。
そんなに広くしないけど雰囲気は良いです。
大きな桜の木がこの場所を守っているようです。
場所はここらへんです

※梶山城について
梶山城の城主の梶山氏は中居氏の一族であった。中居時幹の2男時家は1300年頃、この地を領して梶山次郎と名乗った。その後、応永23年(1416)、梶山氏は上杉禅秀の乱に荷担したが敗れ、梶山氏は滅亡し、城も廃城となったという。このことからすると、梶山城は早い時期に廃城となってしまったようで、城が単純な構造で、さほど技巧的な部分も見られないのは仕方がないところであろう。

余湖くんの ホームページより引用

こんな所に城趾の入り口があるとは知りませんでした
こんな細い道で登っていきます。津波が来たときの避難路かなとも思ってました
つづら折りの坂道を登っていきます。
いいかげん、疲れてきましたが、頑張りますw
もうちょっとで山頂です。見晴らしの写真、取っておけばよかったなと反省
この状態だと、だれも来ないんだろうなぁ~。看板もないですし・・・・
頂上に到着。御託に漏れず、竹林で囲まれてました。ここに城(その当時はお屋敷みたいな物)が有ったのだと思います。
三峰神社? というらしいです。
北浦が一望できます。当時は畑だけだったので、敵が攻めてきてもすぐにわかったんでしょうね。

梶山城は、県道18号線の「梶山坂下」というバス停のすぐ南側の、比高30mほどの台地上にあった。先端の一部は県道によって削られている。城址にはこの削られた辺りからスロープを登って上がることができる。上がった辺りに祠が4つ祭ってあるが、これが三峰神社であろうか。

 発掘報告書の図面を基にして簡単な鳥瞰図を描いてみた。その図を見ると、直線連郭式の城で三郭ほどが確認される。先端部の主郭は南北に細長い郭で、外側に土塁が連なっている。北側には古墳を利用したかと思われる櫓台がある。この郭からは北浦を遙かに臨むことができる。空堀を隔てて二郭、三郭と続いている。

 しかし、現況は、先端の1郭は道路拡張のためにほぼ削られてしまっている。2郭以降も一面の畑地で、すでに整地されてしまったらしく、きちんとした遺構を見ることはできない。堀がどこにあったのかもよく分からなくなっている。しかし、城址南側の登城道の辺りには写真のように切通しの道が見られ、城址らしい雰囲気を出している。城塁は切岸となって迫り、城の要害性を意識させられる。

 このように梶山城は現在ではその遺構もほとんど確認することができないが、室町中期には廃城となったと思われるので、単純な構造の居館であったものだろう。築城もおそらくは室町初期頃であり、室町初期から中期までの地方豪族の居館のイメージはだいたいこのようなものであったと見てよいだろう。

 余湖くんの ホームページより引用
余湖くんの ホームページより引用

このへんの土地は、昔築城した武家の名前から取ったんでしょうね。
梶山、阿玉、札、秋葉、中居、二重作など つくづく歴史を感じる場所だなとわかります。