久しぶりに海に行ってみた。
日曜日とあって芝生や水際で時を過ごす人たちがいる
外洋の波と心地よい風、海を眺めながらゆったりとしている。
心温まる光景で穏やかな一日が流れてゆく。






田舎暮らし満喫中
久しぶりに海に行ってみた。
日曜日とあって芝生や水際で時を過ごす人たちがいる
外洋の波と心地よい風、海を眺めながらゆったりとしている。
心温まる光景で穏やかな一日が流れてゆく。





満開の桜を楽しませてくれた「安塚公園」
いまは葉桜が茂って真夏を待つ様相に
桜の下の草も刈りこまれすっかり奇麗に
これからは一休みの日陰を提供してくれそう。
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早朝の「鹿島城址公園」快晴が心地よい
まずは鹿島城記念碑に挨拶をして、場内を散策&パシヤリ
とにかく広い、満開の大きな桜がいっぱい、いったい何本ある?
さくら祭りは中止で宴会をする人は無し
子供らが声をあげて遊び、散策するカップル、桜を見上げる人々
周回をジョギングする若者、いつもの公園の様子と変わらない。
数の多さ美しさに圧倒され、これは見ておくべきと押付けたくなる
桜の絨毯が印象的でした。
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先ほど気がついたのですが、市の名称は「鹿嶋市」で、それ以外は「鹿島」と表記するようです。鹿島灘、鹿島神宮、鹿島城などは鹿島で、鹿島市立○○小学校とか鹿嶋市○○郵便局とかは鹿嶋。
これは、鹿島が合併で市になるときに、佐賀県に「鹿島市」があるために混同しないように 「鹿嶋」にしたようです。










大蔵の交差点からほど近い「くぬぎの森スポーツ公園」
普段から市民の憩いの場で子供たちが良く遊んでいる
広々とした芝生で視界が広くて開放感が心地よい
広場を見渡すように咲いた桜が風に揺れていた。
(鉾田市上沢1029)






安塚公園の桜並木を走ってみた。
延長 約500m・80本の桜・そして菜の花
青い空、青い湖面、ピンクの桜、菜の花の黄色のコントラスト
艶やかで涼やかな春爛漫の素晴らしい光景が流れて行く
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だいぶ膨らんでもうすぐのようで期待が大
東京より遅いけど近々ですね。
桜の下にこんな看板が有りましたよ


日曜日で晴れた日に行こうと決めていて、
今朝は子供みたいに朝4時30分に目が覚めてしまった。
暗い内から朝の用事、朝食を済ませ、入念にルートの確認、
新聞に目を通して、早めに出掛け支度をして出発準備、
気温2、1℃、庭は霜が降りて真冬並みの景色、でも行きます。
出発6時45分→到着7時35分=走行時間50分。
走行距離23.3kn・・・潮来へ行くより近い。
遂にここに来ました。感激、感動、驚き・・・デカイし広いし美しい。
芝生で覆われたその姿は神々しく、ピラミッドのように圧倒される。
登り、周り、どこを見てもオーラが凄く、飽きずに見とれてしまう。
これぞパワースポット・・・来て良かった。










黄色い菜の花が咲き誇り、春はもうすぐそこまで来ています。
北浦の湖岸道路に接した公園で桜の名所として知られています。
全長500m、桜の木80本、菜の花畑を有する公園です。
時期になると満開の桜と菜の花が同時に楽しめ、
桜と菜の花の間にある遊歩道の桜トンネルが楽しみ。




鹿嶋城跡公園の一角に記念碑があるのだけれど、
公園の規模がすごく、桜の名所となるほど整備されていて、
記念碑以外には城跡としての面影がないが、
人々に愛されている公園なんだと感じる事が出来た。









常陸平氏の鹿島政幹が平安末期に築いた城である。それ以降鹿島氏の居城となった。本丸の跡地は現在、鹿島城山公園として市民の憩いの場になっている。 築城以来、改修や拡大をつづけてきたが、特に知られるのは鹿島義幹による大改修といわれる。 かつて鹿島城の縄張りの東端は現在の鹿島神宮二の鳥居のあたりまでであったという。
現在実質的な鹿島神宮の表参道である大町通りは往時の鹿島城内であり、中世においてはここで流鏑馬がおこなわれていたという。天正年間に常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺されたいわゆる「南方三十三館の謀殺」後に、佐竹氏は鹿島城に兵を差し向け、これを落城させた。佐竹氏は鹿島城の跡地に陣屋を築いたという(鹿島神宮文書)。
徳川幕府が成立すると、佐竹氏は国替えになり、元の鹿島氏が再興した。 現在の国道51号線と茨城県道18号茨城鹿島線が交わる鹿島小学校前の交差点の付近に鹿島城の大手門があったと伝わっている。じつに国道51号線は大船津から鹿島神宮に至る道があったのでこれを圧迫する作用もあり、51号線を通す際に空堀を埋めて道路を造った。
また県道18号線の鹿島城の縄張り内をとおる部分には鹿島城の堀があったという(鹿島城は二重、三重に掘があったとされる)が江戸時代にはいって「平和の時代には不要」として埋められた。
ウィキペディアより引用
城跡と思われる小高い平地はかなり広くて
かなり壮大な権力者なんだろうと想像できる。
そしてここからの眺望がまた素晴らしい。





