★鉾田市文化財巡り#6「中居城跡」

〇割と普段通っている所なのに気づかなかった。
案内板には鎌倉時代初期のもので、
自然の地形を利用して造られ、空堀があった事や、
敷地の広さなども記されてします。
〇この民家なの横から入ります。
さあ行ってみましょう・・・
最初はなだらかで気が踊ります。
道には積もったか枯れ葉でふかふか、竹と杉で覆われています。
かなり登ってキツイと感じた頃に、鳥居が見えてきました。
そしてお堂のようなものが・・・
最後の写真の広いところに城が有ったのかな?
※中居城跡の場所はこちら

県道脇にひっそりとあります。よほど気にしていないと見落としてしまいます。
仲居城は20mほどの高台に築城された、山城でした。自然の地形をうまく生かして築城されていたみたいです。
落ち葉と木々に囲まれた道を上っていきます。
城があったときはもっと見通しが良かったのでしょうか、時の流れが城を守るかごとく、うっそうとした森や竹林になっています。
多分、普段から訪れる方は少ないんでしょうね。滑らないように、注意して上ってます。
空堀か土塁のあとかな?
湖くんのホームページより引用

 中居城は鹿島大掾氏の一族であった田野辺氏が築いた。田野辺政幹の3男時幹はこの地に拠り中居氏を称するようになったという。中居氏は代々この地の領主として君臨していたが、天正19年、中居氏は他のこの地方の領主らと共に佐竹氏に太田城に呼ばれ、そこで鹿行の領主たちの多くは謀殺されてしまった。中居氏はかろうじてその場から脱出することはできたのであるが、中居城を目指して帰還する途中、追っ手に追いつかれてしまい、殺害されたという。

 その時、領民たちは城の堀を掘る作業をしていが、城主の非業の死の知らせを聞き、作業を中断して念仏を唱えた。それ以来この城の未完成の堀は念仏堀と呼ばれるようになったという。思えばこの堀も佐竹に備えて急遽掘らせたものであったのだろう。しかし、合戦をすることもなく、城主は殺害されてしまったのであった。 

余湖くんのホームページより引用

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