★鉾田市文化財巡り#8「三階城跡①」

見どころ満載で大作になったので三回に分けます。
やはり生活道路に看板が有りました。
砂利道をしばらく行くと田園の広がる所に見つけました。
登り口の案内板の他になにやら危険を知らせる標識が!
気にせずに入っていきます。
次回は山道を登ります。

※三階城については、こちら
※別リンク

築城年代は定かではないが安房氏によって築かれたと云われる。 安房氏は徳宿城主徳宿秀幹の長子俊幹が安房に配され安房氏の祖となった。

安房氏は応永年間(1394年~1428年)に宮ヶ崎氏とともに上杉禅秀の乱に参加して討死し滅亡した。その後、三階城には鹿島氏老臣額賀大炊助が居城したという。

三階城は鉾田川東岸の北西に突き出した段丘端に築かれている。

三階城はこの辺りの城としては珍しく、山頂の主郭を同心円状に取り巻くように、二郭、横堀、三郭と配しており、それが遠方から見ると三階に見えたことからこの名が付いたと云われている。

主郭はやや南北に長く土塁が取り巻き、現在西と東にそれぞれ開口部がある。主郭の下はこれを取り巻くように二郭があり、西側は狭く傾斜する。二郭の外側を大きな横堀が巡っているが、その外側部分を曲輪として造成し、曲輪の外側は急峻な切岸となっている。

現状主郭の東から二郭の東へ虎口が直線的に開いているが、これは空堀を廻って主郭まで道を付けているので原因で、これが本来の虎口なのかは検討する必要がある。

城郭放浪記より引用

三階城は、田んぼの真ん中にある16mほどの高台に築城されてました。近くにもいくつか御城(というよりかはお屋敷)もあります。
鉾田名物、砂利道w
看板はそれなりに立派ですが、この先駐車場も何もないです。
三階城は、城主安房氏が築城し、城の形が3段になっているために、三階城と呼ばれています。正しい名称は、「安房城」です。
荒れるがままの状態なので、危険がいっぱい!
この時期は遭遇しないとおもいますが、夏は入りたくないですね。次回の写真で、どんな凄いところかわかります。

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