朝6時、気温12℃、素晴らしい快晴。
斜めの日差しと青い空に惹かれて庭に出てみたら、
西の空に白い月が浮かんでいて美しい姿を見せてくれました。
そして足元をみたら「つくしんぼう」がニョキニョキと顔を出して・・
すがすがしい朝で一日が楽しそう。



田舎暮らし満喫中
朝6時、気温12℃、素晴らしい快晴。
斜めの日差しと青い空に惹かれて庭に出てみたら、
西の空に白い月が浮かんでいて美しい姿を見せてくれました。
そして足元をみたら「つくしんぼう」がニョキニョキと顔を出して・・
すがすがしい朝で一日が楽しそう。
新鉾田の信号(交差点)の右角に見事に咲いた梅の木?大寒桜?
ちょっと判断しかねましたw 多分大寒桜かも
普段気付かなかったけど公園でもなく歩道脇に見つけました。
随分と開墾が進んで終盤が近づいた様子で、
大物は片付いて広範囲に土が見えています。
道路よりだいぶ深く掘られていて空堀のよう
さてここは何になるのでしょう・・・。
気になるその前は、こちら
これも普段通っている道路のチョイ先に見つけました。
関鉄グリーンバス鉾田バスターミナルの裏地に
何見案内も無くひっそりと姿が見えます。
駅舎やレールは無くプラットホームが壊されずに残っています。
保存されているというより放置されているイメージで。
何か寂しい思いがこみ上げてきますが、
時代の深さやその時の息吹を感じるし、
プラットホームを見ているとその時の喧騒や人々の喜びや
悲しみまでも思いに馳せるオーラが滲み出ています。
一種のパワースポットでしょうか。
鹿島臨海鉄道では新鉾田駅だったので、鉾田駅があるのかなと調べたら見つけました。
かつて茨城県石岡市の石岡駅と茨城県鉾田市の鉾田駅までを結んでいた鹿島鉄道の鉄道路線の終着駅で、鹿島神宮への参拝にも使われていたそうです。
採算の問題で、 2007年(平成19年)4月1日に、惜しまれながらも廃止となりました。
今ではバスターミナルとして使われているようですが、鉄ヲタさんには有名な場所のようです。石岡駅から茨城空港までは、線路の後にバス専用の道路をもうけ、BRT(バス専用道を走る路線バス)として空港までのバス輸送路になっています。
googleマップでも廃線後がきっちり見られます、
用事を済ませ午後に戻ったら、なんとなんとあの「もみの木」の
伐採の最中でビックリ仰天・・・これで景色が変わってしまう。
枝を全て掃い>>ロープを掛け>>根本をチェーンソーでブルブル
ロープで引っ張りながら>>安全な場所に倒す>>
横たわった太い幹を切り刻む・・・次の言葉が出ません。
粉砕したもみの木の葉を分けてもらいテーブルに置くと、
いい香り、森の中の香り・・・癒されるうっつ!!!!!
深作農園の裏の道を走っていたら英語の看板が
なになに、この鉾田の田舎に横文字のショップ?
英語が読めなくても「ヤシの木」を売る専門店だと思います。
人気が有って結構な値段でも売れていると聞きます。
ハワイのような雰囲気・・・庭にシンボルツリー・・・か
普段何度も通っている身近な場所に有って気づかなかった。
標識も看板も無くポツンと置いてある感じで突然目に入る・・・
確かに当時というかその時代を感じさせるオーラが・・・
実際のシーンを想像するには充分なパワーを感じる。
この監的豪、実は所有者が国でも市でもないそうなんです。道路の拡幅工事で、初めて調査されたようです。そして今は、拡幅の土地の所有者の方が土地を提供して、そこに移転いたしました。移転の際には、レールを敷いて移動したようです。
そのときの様子は、産経ニュースにでていますので、ご覧ください。
前回は記念碑ばかりで外観が分からなかったので、
買い物ついでにパシャリとしてきました。
緑に囲まれ、桜に守られるようなたたずまいです。
当時の飛行場は、けっこうな広さであったのもうかがえます。
詳しくは、こちらを参照してください。
ラパンハウスから海浜公園へ行く途中の裏道に見つけました。
この場所に陸軍飛行学校と飛行場が有ったのですね。
この顕彰碑はその敷地のはずれの一角にあって、
桜の木に守られているようにたたずんでいました。
「建立の記」には昭和十五年に開設され、戦況が悪化すると
特攻訓練が始まり少年兵がここから飛び立ったと記されています。
重い歴史に心が打たれます。
陸軍初の特攻隊 戦跡が伝える少年兵たち(NHK)
ウィキペディアの記事
県道18号線を左に折れて汲上方面へ進むと
グループホーム「ポコ・ア・ポコ大洋」を過ぎたら突然、
右側の視界が開けて、なんととなんと開墾しています。
あの巨大な杉の木立が広範囲にわたって無くなっている。
重機が三台も入ってうなりをあげて動いています。
両側が杉木立で森の中の街道の風情だったのが、
片方が完全に無くなってています。
畑にでもするのでしょうか・・・また行って見て来ますね。